2019年4月22日月曜日

4月14日 お花見

皆さんこんにちは!HARUの藤城です😊
春らしい日が続いていますね~HARUでも新歓イベントの一環として、414日(日)にお花見を行いました🌸




4名の方が参加してくださり、とても賑やかなお花見となりました!
お花見ではHARUの中で流行っている(笑)ババ抜きなどのカードゲームをしながら楽しくお話ししました。HARUの和やかな雰囲気が少しでも伝わったかなと思います☺
ちなみに私はなんでもすぐに顔に出てしまうので、HARUの皆さんにはなかなか勝てません

最近は部室ができ、HARUメンバーで過ごす時間が増えたように思います。
大学生になるとクラスがない学部も多く、自分らしくいられる場ってすごく大切だなと感じています。HARUHARUメンバーにとって1つの「居場所」となれるよう、代表にできることは何か考えて行きたいと思う今日この頃です。


2019年4月20日土曜日

4月7日 坂元神社のお神輿担ぎのお手伝い


こんにちは、HARU2年生の橋本です。この度は、47日に行われた坂元神社のお祭りについて執筆いたします。



坂元神社は、山元町の坂元駅の近くにある神社です。7日は、町を挙げて大々的に奉納が行わる日でした。

午前中は、神輿を自動車に乗せて山元町の各所を回り、神事を執り行いました。各地では地元の子供たちによる太鼓の演奏も行われ、活気にあふれました。和太鼓の音は重く、あつく、けなげで、迫力があります。わたしの傍らで演奏を聴いていた方が「坂元の中でもこの地域は子供が多かったんだけどねぇ」とおっしゃっていて寂しく思いましたが、本当にこのようなあたたかみのある祭り事は長く続いてほしいと願います。



 



午後は、神輿を台車に乗せ、男性約15人で押しながら町を練り歩きました。(途中、少しの距離を担いで歩きましたが、すべての道のりを担いでゆくことはとてもできない重さでした)強く地をける足取りと、わっしょいと鼓舞する声で、町全体が震えるようです。町の方々からは何十回とお神酒がふるまわれ、担ぎ手(押し手?)もますます上気してゆきます。神聖な行事である一方、祭りならではの興奮や賑わいを肌で感じることができました。(たしは唯一未成年だったのでお神酒はいただけず、山元名産の苺だけいただきました)



ことしも、よく御神徳が町じゅうに広められたことと思います。来年もまた桜の時季にこの緊張と興奮を共にしたいです。



~本活動の一句~

   春風と 地鳴りが渡り つながる輪







2019年4月2日火曜日

卒業生からの Last Message① ~4年間ありがとうございました~


こんにちは、この春大学を卒業した関奏子です。
3月中に投稿する予定でしたが、慌ただしく過ごしているうちに気付けば4月に入ってしまいました。東北地方は桜の開花までもう少しでしょうか。
私事ですが、大学卒業と同時に4年間お世話になったHARUからも離れることになりました。去る218日が現役メンバーとして参加した最後の活動となりましたが、宮城を出るまでにあまり時間が取れず、直接お会いして感謝をお伝えできなかった方が数多くいらっしゃいました。

そのためこの場をお借りして、これまでの活動で学んだことやお世話になった方々への気持ちなどを書かせていただきたいと思います。

 私がHARUに加入したのは、東日本大震災から一年後の高校1年生の春休みに、姉と5日間ほどの泊まり込みのボランティアに参加したことがきっかけでした。そのたった数日間では何の役にも立てなかったという心残りから、東北大学に入学したら復興支援のボランティア団体に入ろうと思うようになり、HARUに行きつきました。
 私が新メンバーとして加入した2015年のHARUは、被災地の状況の変化を受け、既存の活動体制を変えて新たに「あそいくプロジェクト」が立ち上がるなど、表面化しにくくなりつつあった現地のニーズに気づき、それに応えられる活動に取り組んでいこうと先輩方が奮闘されていた時期でした。
 “遊びに行くという言葉から生まれた「あそいくプロジェクト」では、まさに遊びに行くような感覚で、定期的に石巻市に行き、市街地や仮設住宅を周って現地の住民の方と楽しく交流させていただきました。一緒にお茶を飲んでおしゃべりしたり、時に美味しい石巻の名物を頂いたり。それまではボランティアというと無償の奉仕というイメージがあった私は、そんなボランティア像とは少し異なるコンセプトの活動に当初は理解が追い付いていませんでした。しかしじきに、自らの足で現地を歩き、自らの耳で現地の方の生の声を聴いて交流を深めるという地道な活動こそが、ニーズの気づきに繋がることを実感するようになりました。

 

 その実感が形として表れたのが仮設住宅でのお料理会です。これは、「あそいくプロジェクト」の活動の中で出会った仮設住宅の住民の方のふとした一言で生まれました。
「集会所でみんなと集まることも減って寂しい。前は料理会とかあったけどなくなっちゃって。」
 そんなお言葉がきっかけで、HARUは仮設住宅でのお料理会を定期的に開催するようになりました。すいとん、おはぎ、ケーキや冷やし中華など、季節ごとにさまざまな料理を住民の方と一緒に作って美味しく頂きました。
 その際にも、予想外の出来事がありました。当初は、食材の準備から調理、片付けまで基本的にすべてHARUが主導で行うものとして「料理教室」というイベント名を掲げていました。しかし、よく考えれば当然のことなのですが、料理経験の浅い学生よりも、住民のお母さん方の方が比べものにならないほど料理がお上手なので、調理の段階ではいつも不慣れな学生の私たちを引っ張ってくださいました。それを受け、「料理教室」という看板は早々に消え、ただの「お料理会」になったのです。住民の方からは「なかなかこういう機会がないから張り切ってやれて楽しい」といった声を頂戴する一方で、学生だけで出来る範疇を超えてたくさん手を貸していただくことが住民の方の負担になってしまわないか、というのも懸念すべきことでした。得意なことで生き生きと楽しんで関わっていただきつつ、かといって甘えすぎることがないよう、その時々で料理のテーマから悩み、話し合い、実践し、反省するという流れを繰り返す中で、私はボランティアの奥深さや難しさ、そして面白さを知ることができたように思います。

 同じ仮設住宅に定期的に訪問して活動をしていると、お会いした時に再会を喜んでいただけたり、お別れの際に「楽しかったよ、また来てね」と言っていただけたりすることがとても嬉しく、自然と私のボランティアのモチベーションはそんな住民の方々にまたお会いしたい、といういたってシンプルなものになっていきました。
 足湯やお料理会で住民の方とお話ししていると、世間話や日常生活のお話だけでなく、震災を経験した上で若い世代に託す重い、とても重いお言葉に気を引き締められたり、私の将来への激励のお言葉や人生のアドバイスを頂いたりするようなこともありました。大切に心に留めたそれらのお言葉は、きっと今後の人生の節々で思い出すことになるかと思います。
 山元町でイベントなどのお手伝いに参加すると、さまざまな角度から復興支援に取り組んでおられる方に出会うことができ、そういった方々とお話しすることも大変勉強になりました。また、現地の方のみならず、東北大内外の大学生、高校生など沢山の方と交流し、意見を交換する機会を得ることもできました。
 HARUの活動を通して出会った方々には、普段の考え方にまで影響を及ぼすほど本当に多くのことを教えていただきました。お世話になった皆様に心から感謝しております。
 活動を振り返ろうとするとさまざまなことが思い出され、先日後輩に「4年間の活動の中で何が一番印象に残っていますか?」と聞かれた際にも、咄嗟にひとつに絞って答えることができませんでした。
 大橋仮設でのお料理会、石巻でのスタディツアー、山元町での運動会やハロウィンイベント、他大学・他団体との交流会の数々挙げればきりがありませんが、色々な経験をさせていただき、そのどれもが心に残っています。
 3年次には一年間代表を務め、先輩方が基盤を造り、積み重ねてこられたHARUを引き継ぐことの責任の重さを感じました。ただ今まで行ってきたことをそのまま継続するのではなく、被災地で求められるものの変化とともにHARUも変化していかなければなりません。
 はじめは自分には荷が重いかと思いましたが、周りの方に沢山支えられつつ、貴重な経験をさせていただいた一年でした。至らぬ点も多かったと思いますが、どんな時も優しくサポートしてくださった先輩方、いつも側で助けてくれた個性豊かな同期や後輩の皆さん、本当にありがとうございました。
 今後は、少し遠い地からではありますが後輩の助けになることがあれば何でもしていきたいと思っています。どうか楽しみながら活動してくださいね。

 長文にも関わらずここまでお読みくださり、ありがとうございます。
HARUでの出会いや経験は、私にとって大きな糧となりました。東北を離れても、HARUで学んだこと、石巻市や山元町で出会った方のことを忘れず頑張っていきたいと思います。色々な経験をして成長し、また違った形で貢献できれば幸いです。
4年間、本当にありがとうございました。





















東北大学地域復興プロジェクト"HARU"は、
東日本大震災からの復興支援・地域再生を目的として結成されたボランティア団体です。
現在は主に、仮設住宅での
支援活動をおこなっています。
東北大学の公認をいただいており、今後も地域に寄り添った活動を続けていく予定です。