午前6時、環境科学研究科の浅沼准教授と一緒に2tトラックで仙台を出発しました。気仙沼までは、利府を経由し東部道路、三陸道を通りました。道路には震災の爪痕が大きく残っており、車体は大きく上下に揺れます。
当日の青空市場はコンビニの駐車場の一角を借りて開かれました。フリーマーケットのようにブルーシートを広げ、その上に衣服を並べた即席の市場です。8時過ぎにコンビニに到着、トラックから荷を下ろし、準備を始めました。すると、すぐに人がちらほらと集まってきてくれました。そして、8時半すぎ、準備が終わったころには多くの人々で市場は賑わっていました。また、大人だけでなく、子どももたくさん来ていて、子ども用に用意した学用品を親御さんと一緒に選んでいる姿はとくに印象的でした。
青空市場に来ていた人たちに話を伺ってみると、ある女性は「津波で会社が流されたため解雇された。現在求職中で子どもを3人育てているため本当に助かる」と話してくれました。少しでも力になれたことは大変嬉しかったですし、ひたむきに頑張って生きようとしている女性の姿に心打たれました。衣服以外にどんなものが必要かと尋ねると、女性は第一に食料品をあげました。日用品、また今回はあまりなかった夏物の衣料も欲しいとのことでした。また、別の男性も食料品の不足を嘆いていました。国政では“復興の段階”についての議論が声高となっていますが、被災地では、食料品や日用品の不足といった状況が続いています。いまだ“復旧中の状態”なのだと改めて感じさせられました。
また、その男性は「このような市場が開かれるといった情報を知ることがなかなかできない。開催される場合には前もって情報が欲しい」と話していました。実際、さきの女性も、うわさを又聞きして足を運んだそうです。口コミが主な情報源となっているようでした。
開始から1時間ほどで物資の半分程度がなくなり、2時間を過ぎた頃にはほとんどなくなるほどの大盛況でした。途中、全国各地から訪れたボランティアの皆さんが私に話かけてくれました。その話からは多くの方が東北に対して「熱い思い」を持っていることが分かり、心強く感じました。
「ありがとうございます。ありがとうございます」。何度も何度も頭を深く下げ、お礼を言ってくださったお年寄りの女性がいらっしゃいました。この女性は、震災のあった日、着の身着のまま家を出てきたとのことでした。家は津波に流され、この日身につけていた衣服ももらいものだと話していました。今回の青空市場はそのような人たちに対して、少しでも力になれたのではないかと思います。そして、復興というより、その前段階の復旧に向けた支援を期待する被災者の声を直に聞き、現実の厳しさを実感しました。その一方で、服を体に当て、似合うかどうか確かめる方たちの笑顔を見ていると、微力ながらも私たちが笑顔になってくれるためのお手伝いをできているように感じ、嬉しくなりました。
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