2011年5月8日日曜日

復興への熱い思い受け止める ―山元町ボランティアセンターでの受付業務―


広報部のY.F.です。私は、約3週間にわたって宮城県の山元町で
支援活動をしています。
今日は、同町のボランティアセンターで活動希望者を受け付ける
作業などの様子を報告したいと思います。


ボランティアセンターは、山元町の社会福祉協議会が
設置しました。同町の復興支援活動の拠点です。
社会福祉協議会事務所の前に設置されたテントが、センターの所在地です。
ここでは、ボランティア活動を行う人や団体の受付、
ボランティア支援を求める町民の窓口としての役割を果たすほか、
家屋などの消毒に使う消石灰や消毒液の配布もしています。





支援を求める町民の中には、ご家族やご親族を亡くされた方も
多くいらっしゃいます。私が応対した方々の中にも、
お父さんを亡くされて独り身になった方がいました。
泣き腫らしたような赤い目で、茫然自失としている姿を見て心が痛みました。
こうした方々のニーズにこたえ、山元町で
ボランティア活動を行いたいという人は、
まずこのボランティアセンターで受付をして仕事を割り振られます。
汚れても差し支えない服に着替えたり、道具を準備したりします。
活動を始める前に「山元町」と書かれたビブス(ゼッケン)と腕章を受け取り、
それを身につけて活動します。
ビブスの番号はボランティアセンターで登録され、
活動が終了した時に怪我などがなかったか確認できるようになっています。
ボランティアに任される仕事には、物資仕分けや個人宅の清掃、
農園整備の手伝いなどがあります。

「りんごラジオ」という山元町周辺のみで聴くことができるFM放送があります。
ボランティアセンターの受付業務をしていると、受付に置かれたラジオから、
この放送をよく耳にします。
この放送では、1日に何度も安否不明者の読み上げをし、
「情報をお持ちの方はお申し出ください」と呼びかけています。
沿岸では行方不明者の捜索が続いている状況で、そのような区域は
自動車などでの立ち入りが規制されている「立入禁止区域」に設定されています。

役場の中に足を踏み入れると、まず「安否情報確認」「死亡届提出」
「避難者名簿」「二次避難先届出」といった文字が目に入ります。
こうした状況を目の当たりにすると、
まだ復興といえる段階にはないことを痛切に感じます。


受付業務を行っていると、様々な方々と接するため、
複雑な気持ちになることもあります。
支援物資は、仕分け作業が発生したり被災地側が混乱することから、
基本的に個人からの支援物資は受け付けていないにも関わらず、
「感謝しないんだったら返せ」と発言し、持ってきた物資を
全て持ち帰ってしまったボランティアもいました。
善意の気持ちはありがたいものですが、ボランティア活動を行う以上、
被災地の状況を考えて行動しなければ、かえって迷惑をかけてしまうこと
を改めて感じました。
また、被災者とボランティア間のトラブルを目にすることもありました。


被災地の現状は複雑な心境にさせるものではありますが、
全国各地からやって来るボランティアが数多くいて、東北の復興への
熱い気持ちを感じることが出来ました。
大型連休中、山元町に来られる一般ボランティアの方の数も格段に増えました。
今まで1日約40人だったボランティアの数が、連休に入ってから
一気に160~200人ほどに増えたようです。
職員の方も割り振りが難しいと話すほどでした。
茨城、埼玉などの関東地方に加え、大阪、兵庫、広島など
西日本から来られている方も見られました。
中にはイスラエルから来たという方までいました。
驚くと同時に、「世界中に『何か力になりたい』と思っている人々がいるんだ」
と心強く思いました。
私は四国出身ですが、以前個人宅のボランティアに行った時にそれを伝えると、
「四国から東北までわざわざ進学してきて、ここ山元町にも
手伝いに来てくれる人がいるという、それだけでも支えになる、
東北は大丈夫だと思える」というお言葉をいただいたことがあり、励みになりました。
ボランティアの仕事というものは、ただ労働力として、物理的なものを
提供することだけではないと感じています。
被災地で活動することで「私たちはきちんと見ています」「共に在りたいと思っています」
という気持ちを被災された方々に直接伝えることで、
精神的なつながりも持つことができるのかもしれません。



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東北大学地域復興プロジェクト"HARU"は、
東日本大震災からの復興支援・地域再生を目的として結成されたボランティア団体です。
現在は主に、仮設住宅での
支援活動をおこなっています。
東北大学の公認をいただいており、今後も地域に寄り添った活動を続けていく予定です。