2013年5月28日火曜日

5月25日 いちごプロジェクト活動報告

こんにちは!

HARUいちごプロジェクトの山口です。

 大河原商業高校、亘理高校卒業生の方々らと一緒に半澤いちご農園で活動してきました。

今回の作業内容は、アイポット(いちごの苗のポット)への土入れ、ランナー取りでした。

2グループに分かれて、午前と午後で作業内容をチェンジする形での活動でした。

最後にいちご狩りをしました。
とてもおいしかったです(*^^*)

高校生たちはもりもりと食べてましたね 笑
これからも元気に活動を続けていきたいです!

※農園のブログも更新されているので、ごらんください
http://ameblo.jp/hanzawa15nouen/entry-11538297446.html


















5月19日 いちごプロジェクト活動報告


どうもこんにちは!
初めてボランティアに参加&ブログを書かせていただく、1年の高畑です☆
この日、山元町を訪れたHARUメンバーは3人!



そして、岩沼駅で宮城県立大河原商業高校「社会部」の生徒さん6人と合流。一緒に活動しました〜(^-^)



午前中は、育苗用のアイポットにひたすら土をいれまくりました。
早く入れるコツを模索しつつ…
ガールズ&ボーイズトークがはずみました♪


午後は、イチゴの株からびよーんと伸びてくるランナーというものを、ひたすら切る作業!!
みんな黙々と作業していました(^-^)


休憩時間には、真っ赤なイチゴを探していただいちゃいました♪
flesh☆でおいしかったです☆

ごちそうさまでした!


ちなみに、前回他のメンバーががんばった排水溝、、、
水がちゃんと流れていました(^-^)♪♪
仲間とやる農作業は、楽しかったです!早くもイチゴに愛着が湧きそうです〜☆

※農園のブログも更新されているのでご覧ください
http://ameblo.jp/hanzawa15nouen/entry-11534177994.html

 










 


 

【連載コラム】井上×小野寺対談 「2011年後期の活動」


・半澤農園の方との出会い

井上:812日に、一般ボランティアと一緒に山元町に行き、当時はボランティアセンターが機能していて(現在はやまもと復興応援センターと名前を変えて機能している)、仮設や農家の方のボランティア依頼を振り分けるシステムがあった。僕はたまたま半澤農園に振り分けられて、そこで単発の活動をした。当時、徳広さん(半澤農園6人兄妹のお一人、いちご農家)は京都に出稼ぎに行っていたのでお母さんが対応して、楽しく活動をしていた。その辺からいちご農園に携わっている、かれこれ110か月くらい。

 後期から学校が始まり、10月から半澤農園に専属でボランティアに入るようになる。当時は毎週月曜日に行っていた。

小野寺:それはまだHARUの活動ではない?

井上:そう。HARUでいちごプロジェクトをやろうと思ったのは2012年の夏休みを過ぎたあとから。そこは個人でやっていたし、ちゃんと特定の人と関係性を持ってやりたかった。そこで半澤農園の方に頼りにされたのはうれしかったが、反面期待にこたえられない所もあった。最初は農作業、10月は葉っぱを切ったりなど。

 

・学祭後の動き

井上:11月中旬からHARUがまだ細々をやっていることを聞き、学校の空いた時間に何かできたらと思い、ちゃんと入りなおしたのがいちごじゃなくて、図書館プロジェクトからだった。図書館は2週間に1回、放課後活動した。いちごも週1くらいでやっていて、年末の話になった。のべ1500人以上のボランティアが半澤農園に来ていたことから、名前や住所を書きためたノートを使って年賀状を書きたいとお母さんが言った。僕は、最初は無理だ、そんなことはできない、いちごの作業が回らないと反対した。だけど僕はパソコンが他の人よりは使えるから住所の打ち込みやレイアウトをやることにした。この年賀状作成をしたのが、農園の中で自分がやった初めての大きな仕事だった。これは自分でもよくやったと思う。1000人以上は名前を打ち込みした。

小野寺:期間はどれくらいかかったか?

井上:3~4週間かかった。週1回行って、一日6~7時間くらいやった。クリスマス前にはなんとか間に合った。年賀状が帰ってきたときはやっぱりうれしかった。

 

・半澤農園の農業法人化

井上:当時は震災後の経営の立て直しや販路拡大を目指し法人化をやっていた(「燦燦園」。山元町はGRAなど農業法人がいくつあるが、やってみようということになった。しかしなかなか資金繰りがうまくいかなくて、一番の問題は会計が全く別のところでやっていた。(省略)また個々の農家も気が強く、まとまらなかった。2012年の4月にはほぼ倒産状態に。登記も、資本金もやって、独自の販路を開拓しようとして震災を機に新しいことをやろうとしたけど、うまくいかなかった。その時に自分の中で貢献できなかった悔しさが強かった。「俺がもう少し会計的な知識があったら、ちゃんと、もう少し会社が回ったのに」という悔いがある。そこから勉強も頑張ろうと思うようになった。

 

2011年後期のHARU全体の活動について

井上:教育支援、菜の花、図書館プロジェクトの三本立て。今残っているのは教育支援だけ。教育支援はこれからどこで活動するか、探り探りの段階だった。菜の花プロジェクトは農学部と連携して、若林区の農業園芸センターに菜の花を植えていて、塩害を受けた農地に菜の花を植えて栽培・管理をした。2012年の6月末にアーケードで菜の花の写生・写真大会を開催してプロジェクトは終了した。塩分除去の効果は思ったよりなかったらしい。図書館プロジェクトは20128月を持って終了。

小野寺:HARUの活動はいくつかあって、継続性があるものと目標まで到達したら終了しるものに分かれるのか?

井上:ぐだぐだ続けるよりも、ある程度まで到達したらなくなるほうがいい。ただ、教育支援や農業については終わることがないと思う。これからやる足湯プロジェクトについても、あと5~6年したら仮設が無くなり、皆公営住宅に移ると思うけど、その中でも皆が集まれる集会所的なところはあった方がいいと思う。そういうところでプロジェクトが出来ていければいいと思う。個人の考えとしては全ての活動が無くなるのが理想で、現地の人主体で回るのが良い。特にもともと山元町は若手の人がいない土地だから、若い人が行くだけで喜ばれる。復興が完了したとしても何らかの形で関わることは大事。

2013年5月26日日曜日

【連載コラム】井上×小野寺対談 「震災~最初の夏休みまで」

こんにちは!

HARUの井上です。先日、メンバーの小野寺さんと対談形式でHARUのことやこれまで携わってきたボランティア、個人の思いなど話したので、今日からちょっとずつ公開していこうと思います

今日は「震災~最初の夏休みまで」です


HARUの活動について

HARUに入ったきっかけ

小野寺:HARUという団体に入って、どんな活動をしてきたか?個人でやってきたこと、団体でやってきたこと、両方を教えてほしい。

井上:(HARUの成立について)HARUは、震災直後の2011324日に、もともとは教授の先生が立ち上げ、復興メーリングリストという形でボランティアの学生を募る形で活動が始まった。当時はがれき撤去や、避難所の炊き出し支援、写真の洗浄作業、留学生のための通訳のボランティアがあった。僕は個人的には交通整理と呼ばれる活動で、山元町の中で規制がかかっている場所に、野次馬で入ってくる車を迂回させるボランティアを消防団の人と一緒にやっていた。あとは避難所の衛生環境調査なんかもやった。食べ物は衛生的か、手洗いをしているか、そんなことまでチェックをしていた。これが震災後のゴールデンウィークの活動である。

小野寺:そのような交通整理や、衛生環境調査などの詳しい活動内容は誰に依頼されてやったのか?

井上:直接、山元町に依頼されてやっていた。

小野寺:山元町への交通手段はどうしていたか?

井上:毎回大型バスにのって、40人前後を山元町に派遣していたのが当時のHARUの活動のかたち。3月末から春休みのあいだは毎日大学から出るバスで行っていた。今のHARUのメンバーで当時のことを知っているのは4人位しかいない。その時は僕は一人の参加者として居て、運営にまで関わるとは思っていなかった。

小野寺:最初は一メンバーとしていたということか?

井上:はい。当時の1000人を越えたメンバーのうちの1人であった。中心メンバーと話すことはあまりなかった。

小野寺:徐々に活動を増やし、メンバーの核として動くようになったのはいつごろからか?

井上:かなりの紆余曲折があった。

 

 
 
・学校が始まってからの活動(2011.5~
井上:学校が始まってからは、足しげく被災地に行くことが出来なくなってきた。午前中で学校が終わる日などは、宮城県第二総合運動場(長町のICの近く)に支援物資がいっぱいトラックで来る、それを各被災地に適切な分量を分配する活動をやっていたのが56月。その中で行けるときは週末に山元町に行って写真洗浄のボランティアをやっていた。7月中旬にHARUはいったん解散した。メンバーが膨れ上がり過ぎて、震災直後のとにかく人が欲しいという段階から、顔の見える範囲で活動できるようにしたいという段階になった。解散のあとは社会人のボランティア団体に参加していて、僕個人としては移動手段がなかったので社会人の方に乗せていってもらっていた。学外との関わりもその辺から増えていった。主に活動は山元町が多かったが、女川、若林区の辺りで住居の整理とか、畑のがれき拾いをやったりしていたのが78月の夏休み期間。
 
 

2013年5月12日日曜日

5/3 石巻スタディツアー

こんにちは!教育支援プロジェクトの後藤です。

5月3日 東北大学生向けの石巻スタディーツアーを行ないました!その報告です。
このツアーは 東北大学ボランティア支援室StartTohokuといっしょに企画し、
ゴールデンウィークボランティアツアーの一つとして行なわれました。


今年度東北大学に入学した新入生の他にも大学院生や教員が参加し、総勢約30人で
石巻をめぐりました。





仮設住宅では私たちがいつも教育支援プロジェクトとして活動している大橋団地仮設住宅の
集会所をお借りし、住民の方とお茶会をしました。
住民の方も大勢参加してくださり、お茶会はとってもにぎやかに行われました。





お昼ごはんは石巻市市役所内の「いしのま☆キッチン」でいただきました。
そこで働くお母さん方はみんなパワフルで、自慢の料理はホントに美味しかったです。




その後は石巻の商店街をめぐりました。
こどもの日が近かったため鯉のぼりがありました!

ゴールデンウィークということもありどのお店も繁盛しているようでした。








復興マルシェ、NEWSeeを見学し、
最後に、ふりかえりのワークショップ。
みんなで今日見学して知ったこと、感じたことを共有しました。




仙台に住んでいても、沿岸部や仮設住宅に行ったことのある大学生は少なく、
このツアーで多くのことを学び取ってくれたようです。
「震災3年目の石巻に必要なこと」についての議論。
このツアーに参加してただ満足してしまうのではなく、次のステップを踏むための
いい機会であって欲しいと思います。


いしのま☆キッチン
http://www.tohoku1000.jp/projects/detail/?id=93

東北大学ボランティア支援室
2013年ゴールデンウィークツアー 

東北大学地域復興プロジェクト"HARU"は、
東日本大震災からの復興支援・地域再生を目的として結成されたボランティア団体です。
現在は主に、仮設住宅での
支援活動をおこなっています。
東北大学の公認をいただいており、今後も地域に寄り添った活動を続けていく予定です。