2011年4月14日木曜日
仙台いちご
こんばんは、実動部のOです。いつも間違われるんですが「実働」ではありませんからねー。
皆さん、震災直後の食料ってどうしてましたか?僕は数日後に八百屋に2時間並びました。
その時、おいしそうな宮城産のいちごが売ってたんです。真っ赤でおいしそうだったし、食べたら
元気が出そうな気がしてつい買ってしまいました。一日3粒までと決めて大切に食べたんですが
本当においしかったです。果物って元気が出ますよね。数日の間、ぼくの一日の楽しみはこのいちごでした。
最近HARUは山元町に行ってるんですが山元町は有名ないちごの産地なんです。「仙台いちご」って聞いたことありませんか?あれです。しかし沿岸部に集中していたいちご農家は一部を残してほぼ全滅してしまいました。上の写真はいちごのハウスがあった場所なんです。防風林も、家の基礎も流してしまうほどの大きな津波が押し寄せたそうです。
山元町の職員の方に教えていただいたんですが、震災直後に市場に出ていた宮城県のいちごは多くが山元町から最期に出荷されたものだったらしいです。もしかすると僕が食べたいちごは山元町から出荷されたいちごだったのかもしれません。農園が写真のようになってしまった以上、もう山元町ではいちごは作れないかもしれません。
あのおいしかったいちごをまた山元町が作ってくれるように。大したことはできないけど僕は僕にできることをやろうと思います。明日ももうひとがんばりしてきます。
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東北大学地域復興プロジェクト"HARU"は、
東日本大震災からの復興支援・地域再生を目的として結成されたボランティア団体です。
現在は主に、仮設住宅での支援活動をおこなっています。
東北大学の公認をいただいており、今後も地域に寄り添った活動を続けていく予定です。
東日本大震災からの復興支援・地域再生を目的として結成されたボランティア団体です。
現在は主に、仮設住宅での支援活動をおこなっています。
東北大学の公認をいただいており、今後も地域に寄り添った活動を続けていく予定です。
ボランティアありがとうございます。
返信削除本当に本当にありがとうございます。
ボランティアさんに助けられている苺農園の者です。
家も小さな苺ハウスが流され、大型ハウスが一つ残りました。父達が長年築き上げてきた苺畑は大型ハウスだけとなりました。苺を続けられるかは悩んだ末、その大型ハウスに希望を託して頑張ろうと決めました。
しかし、ハウスの復興と苺の苗づくりには人手が足りなく、親戚達もみんな災害にあっているためどうしようかと思っていました。
そんなときボランティアのみなさんが手伝ってくれて、私たちには仕事だけでなく、気持ちの面でも大きな力になって頂きました。みなさんが一生懸命手伝ってくださって涙ウルウルで作業をしています。
今年の冬に苺がちゃんとできることを祈って頑張りますので待っててください。
本当に本当にありがとうございます。
返信が遅くなってしまって申し訳ありません。
返信削除まさか苺農園の方が見てくださるとは思いませんでした・・。
もう一度頑張ると決めてくださって本当にありがとうございます。僕たちが少しでもお役に立てているならとても光栄です。
時々そちらの苺をいただいた参加者は皆とても嬉しそうに「おいしかった」と話してくれます。
今年の冬を楽しみにしていますね。
本当に本当に、ありがとうございます。