2011年4月16日土曜日

牡鹿半島への物資支援の報告

先日,皆様から頂いた支援物資を環境科学研究科の新妻教授らが牡鹿半島へ届けに行かれました。

以下に新妻教授の支援報告を転載させて頂きます。





支援報告

皆様:

昨日,情報収集を兼ね,私と当研究室の冨永さんで牡鹿半島に支援物資を届けに行って来ましたので御報告します。

多くの方々からお送り頂き,最首さんのグループで種分けして頂いた支援物資と,奥山さんの御尽力で仙台朝市商店街振興組合から提供いただけることになった4箱分の果物と野菜を,文字通り牡鹿半島の「津々浦々」を訪ね届けてきました。

届け先は,大きな避難所ではなく,無事だった個人宅に身を寄せている所,ならびに小規模な避難所です。これは,数100人規模の避難所が対象では持って行ける物資が限られていること,個人規模の避難者には避難所と同等に支援がされていないこと,役所や避難所という組織を通してではなく,被災者に直接物資を届け,話を聞き,顔を見ることを通して被災地の実状や被災者のこころに直接触れたいこと,等の理由からでした。

事前に特にあてがあったわけではないのですが,女川から南下し,計6箇所の方々に支援物資を直接お届けすることができました。

最初は怪訝そうな顔をされるのですが,東北大学というと少し安心し,果物を持って来たことを告げると,他の物資まで喜んで受け取って頂けるという状況の連続でした。

現地の多くは電気,ガス,水道が止まっており,震災直後の仙台の状況と同じでした。支援物資も食糧はおにぎりと非常食がいまだに続いていて,仙台で我々が経験したように,果物や繊維質を皆さん欲しいと思っていたところでしたので大変喜ばれました。三陸は女川,石巻,志津川,気仙沼等,普段人々が買い物をする大きな町の全てが壊滅し,このようなものを買い出しに行くのは1日がかりだということです。

また,日常品の過不足はとうちゃんではなく,かあちゃんに聞かないとわからないということが分かり,これも我々の日常を見ればその通りだと,妙に納得しました。

さらに,一般に今や行き渡っているとされている,下着や衣類等の物資も喜んで受け取ってもらえました。統計的には充足していても,個人単位では過不足があったり,個人に合ったものが無い等の実状も学びました。

全国から送られてくる膨大な量の支援物資を個人レベルまでおろすことの難しさを感じました。

送られてきた支援物資の箱,一つ一つを見ると,それぞれにお送り頂いた心がこもっており,このおこころざしを直接被災者に伝えることができない現状に複雑な気持ちでしたが,今回,直接被災者に手渡し,別な形で支援者の心をお伝えできたことは幸せでした。どうも,一番得な役をやらせて頂いたことになり,恐縮するとともに,これに関わって頂いた多くの方に感謝致したいと思います。

現地では,津波の直前に金華山と牡鹿半島が陸続きになり,それから海の盛り上がりがかなりの時間動かなかったという貴重な証言を得る等,情報収集に関しても大いに勉強になりました。

現地の状況は津々浦々で異なり,それが日に日に変わっていることを認識し,我々の支援のあり方を考えることの重要さをあらためて教えてもらいました。


新妻弘明





HARU本部のEと申します。昨日、今回の物資支援について新妻教授にお話を伺いました。被災地への支援について非常に考えさせられるお話を伺うことができました。皆さんにも被災地への支援について考えて頂きたいと思ったので新妻教授から伺ったお話をご紹介します。


まず,同じ町内でも場所によって必要とされているものは異なり,どんなものが必要とされているのかは実際に行ってみないと分からないそうです。また,前回喜んで頂けたものが,次もまた必要とされるとは限らず,遠くにいてその時々のニーズを把握することは非常に困難であるそうです。

しかし,必要だと思われる物資をただ届ければ良いということではありません。全員に同じものを同じ数だけ配るのではなく,避難者の方たちがそれぞれに自分に必要な物を選べるようにしなければなりません。例えば,買い物バスや配達サービスなどを企画し,避難者の方達が自由に選べるようにするという案が考えられるそうです。

地域の復興のためには地元の人達の力を復活させることが重要であり,ただ物資を送り続けるのでは,住民の方達の生活する力は復活しません。自分達で何かをしようとするのを手助けできるような支援を考えなければならないそうです。

この地区の被災者の方達には,今回の震災を暗く絶望的とは受け止めていない方が多いそうです。今回の被災に向き合いつつ,残った者としてしっかりと生きて行かなくてはならない,と自分達に言い聞かせているようだったそうです。牡鹿半島には死と隣り合わせの仕事である漁師の方が多いこと,昔から津波の被害を幾度となく経験していることなど,自然の脅威と隣り合わせに生きてきた人々の底力が感じられたそうです。

最後に,新妻教授は物資を受け取った方々の笑顔がたまらなかった,あの笑顔を見ることができて本当に良かったとおっしゃっていました。自分も被災者の方達の写真を見せて頂きましたが,あのような甚大な被害を受けたにも関わらず,人はこんなにいい笑顔になれるのかと,本当に感動しました。



ここからはこのお話を伺ってから自分の考えたことです。僕個人の考えですので,甘いところもありますがご了承ください。

震災から1か月,自分がボランティア活動を始めてから約3週間になります。自分は老人介護施設,避難所の小学校,そしてHARUの本部などで活動してきました。活動をしていると,自分のやっていることに自信が持てなくなり,何のために自分は頑張っているのだろうと悩むことがありました。しかし,そんな中で現場で見た高齢者の方達,避難者の方達,役場の方達,ボランティアスタッフの方達,そして子供達の笑顔は本当に素敵でした。体力的,精神的に厳しい状態でもまたこの笑顔を見るために頑張ろうという気持ちにしてくれました。そして,今回新妻教授からお話を伺って,自分はあの人達の笑顔が見たくて頑張っているのだということにあらためて気がつきました。

復興支援には様々な活動があります。自分のような最前線で働かせて頂いている者はごく一部であり,幸運だと感じています。一方で裏方で活動をしていて,自分の活動は果たして誰かの役に立っているのだろうかと不安になっている方も多いと思います。しかし,自分はどんなに目立たない活動でもどこかで誰かの笑顔につながっていると思っています。今回の物資支援でも表に出ない所で多くの方達が尽力されました。物資の提供を呼びかけた人,物資を提供してくださった人,物資を運びやすいように整理した人,物資を届けるための車を手配した人,物資を車に積み込んだ人,そして物資を現地に届けた人,他にも多くの人達が力を尽くされました。そのすべての人たちの思いや頑張りがあってあの素敵な笑顔が生まれたのだと思います。

今何か活動している方,これから何かをしようとしている方,どんなに目立たないことでも必ず誰かの笑顔につながっているのだということを忘れないでください。そして,その笑顔は周りの人たちを元気にしているのだということを忘れないでください。


これからも頑張りましょう!




1 件のコメント:

  1. 愛する旧牡鹿町の皆様を少しだけでも支えていただきまして、本当に感謝しております。今後も、継続的な支援を一緒に頑張りましょう!
    ウィーン大、ウィルヘルムより

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東北大学地域復興プロジェクト"HARU"は、
東日本大震災からの復興支援・地域再生を目的として結成されたボランティア団体です。
現在は主に、仮設住宅での
支援活動をおこなっています。
東北大学の公認をいただいており、今後も地域に寄り添った活動を続けていく予定です。